戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。
A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真を撮ってくれた。当時、写真機は家庭になく、このように撮られることはまずなかったので、貴重な1枚だと思っている。
この頃は、巻絆(まきはん)を巻いて学校に通っていた。巻絆は、鉄砲の弾が当たっても怪我をしないように、布切れを足に巻きつけたものである。小学校1年生から巻絆を巻く練習をしていた。運動したり、動いてもずり落ちないように、布を斜めにしてきゅっと巻きつけた。また、学校に行く時には尖鍬(とんぐわ)や鎌を持って、午前中は授業を受け、毎日お昼から高林へ開墾作業に行った。
朝の登校は、岩道から広幡小学校へ並んで歩いて行くと、学校の100m手前から、「歩調を取れ」という号令がかかった。号令がかかると、足並みが乱れない様に右、左、右、左、と足をきちっと高く上げて、手を振って、学校へ入って行った。玄関先に上級生が立って見ていた。戦争中なので、空襲警報が発令されたら、堤防で伏せなければならなかった。
この頃、ほとんどの教師は国民服を着ていた。

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烏江のあたりに女郎屋や飲み屋があった。2012年現在で80代前半くらいまでの岩道の人は遊びに行ったかもしれない。
岩道のあたりで、遊んで身上を潰した人は聞いたことがない。女郎屋といっても御殿女中のような構えではなく、田舎の小奇麗な家の中に、女性が2、3人いて、その中で遊ぶという感じだった。
人によっては烏江にある一杯飲み屋のお抱えの女給さんと遊んだらしい。岩道から栗笠、烏江へは同じような距離なので、遊ぶ時はどちらへも行った。そこでトラブルになったという話は、岩道では聞いたことがない。
三湊(烏江、栗笠、船附)にそれぞれ女郎屋はあった。

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岩道は、1軒に1つ井戸がある。養老町内は場所によって一時期、排水の問題で井戸を掘るのに制限があったが、岩道で制限がかかったことはなかった。
2012年現在もお宮さん(早扉神社)に掘りかけている井戸がある。
上水道ができてからは、昔のように全戸に井戸があるわけではなくなったが、それでも大体の家にあるのではないだろうか。
昔は、水が出なくなると再度掘ったり、パイプを掃除して復活させようとしたが、現在は古井戸はそのままにしてしまっている。
伊勢湾台風の時にも、ものすごい勢いで水が出た。
昔は、田んぼに用水をひくと、井戸から水が出なくなることがあった。
飲料水は、水質検査をしなければならない。口ヶ島から西岩道あたりまでは水質が良いが、岩道は赤そぶがきつかった。深井戸にすれば赤そぶの影響はないが、昔の井戸は、赤そぶでも使用していた。

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牧田川(まきたがわ)は大垣市から養老町と安八郡輪之内町を抜けて揖斐川に合流する一級河川である。
牧田川は昔は現在より西方を流れており、字将棋頭(しょうぎがしら)の西と養老山の山裾である桜井の間を通り、南の勢至方面へ流れていた。
牧田川は普段は水量が少ないが、少し上流で雨が降ると関ヶ原と多良(上石津町)の両方からの水流が合わさり、すぐに洪水を引き起こした。
永禄の頃(1560)から牧田川の堤防はあっただろうが、堤防の位置は現在よりも更に西の方であったと思う。水害によって、牧田川の川筋は次第に東に移ってきただろう。
養老町中の諏訪神社の参道に鳥居があったが永禄9年(1566)の大洪水の際に押し流され、宇田字中河原に埋没したという記録が養老郡志にある。また金屋の御井神社の社も流れたという記録がある。
橋爪の篠塚神社も字岡ヶ鼻の神明神社の位置にあったが、大洪水で現在の神社の位置にご神体が流れ着いたため、そこに篠塚神社を再建したと冊子「橋爪の歴史」に掲載されている。
慶長5年(1600)の水害では、多岐神社の鳥居や大墳城の城壁なども牧田川の氾濫により流されて付近一帯が洪水の被害を受けた。
天正13年(1585)の天正地震で、養老山脈が崩れてその土砂が牧田川を覆ったという説や、地震によって牧田川の川底が揺り上がったという説もあり、これについては元禄時代(1688-1703)の書物を根拠としているようであるが、どちらの説も物的な証拠は見つかっていない。
現在のミズノ養老工場や高田中学校の敷地、三神町の南側をはしる道路などは河川敷であった。

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養老町の橋爪(はしづめ)は大多数が他門徒である。橋爪在住のA氏の東側の家は、大垣木戸の専光寺門徒、北側の家は徳願寺門徒、西の家は正覚寺門徒である。他にも押越(おしこし)の西福寺、五日市(いつかいち)の林覚寺、安久(やすひさ)の徳願寺、表佐村(垂井町)の宝光寺などあちこちの寺の門徒がみえる。

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