牧田川(まきたがわ)は、木曽川水系の一級河川である。岐阜県大垣市上石津町の五僧峠付近に水源があり、岐阜県大垣市と養老町、安八郡輪之内町を流れる。全長41.1 kmで揖斐川に合流し、伊勢湾へと流れる。
広瀬橋の辺りの牧田川を別名広瀬川というが、その辺りに渡しがあったことは覚えているが、渡し場の名前は失念した。
昭和8年(1933)に牧田川は改修工事によって現在の形になった。
以前は牧田川と杭瀬川は烏江で合流していたが分流改修により、現在は牧田川左岸堤防が中堤になっている。
牧田川の東側は大垣輪中、西側は瀬多輪中である。
昭和19年頃に室原のA氏が内務省から旧長良橋を貰い受け牧田川の背割提(せわりてい)の中に隠した話しを、B氏が聞き確認した所、橋は実際に存在した。その橋で烏江橋が建造された。現在の牧田分流記念碑の場所に橋が隠されていた。
昭和51年(1976)9月12日夜、牧田川と杭瀬川の中堤が烏江地内で決壊し、堤上にあった分流記念碑が杭瀬川に流された。現在の分流記念碑は杭瀬川の川底から堀り出されたものである。
碑が流された1976年の洪水時、牧田川は杭瀬川よりも4m高かった。元々2本の川の高低差はさほどなかったが、牧田川が暴れ川だったので砂利が少しづつたまり、天井川になったものである。
広瀬ダム付近の牧田川の改修工事では大型の重機で掘り、トロッコで砂を運んでいた。
永祿9年(1566)10月14日牧田川の大洪水によって河状を変じ、南流と北流に分かれた。「郷土の治水(p.149)」に史料あり。
表示位置は広瀬ダムを示している。