タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

石碑 | タギゾウくんの養老ノート
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石碑

「山田用水」に関わる石柱

養老町橋爪のO氏宅の門柱に「山田用水」と刻まれた石柱が使われている。山田用水に関わるものと考えられるが、未調査のため詳細は不明である。

徳命之拓心霊碑

西小倉開拓の沿革と殉難者の慰霊碑が西小倉集会所の広場に建立されている。「徳命之拓心霊碑」と刻され、自然石の台座の上に横約2m、縦約1mの黒御影石で、揮毫は当時の養老町長津田洯氏による。昭和50年(1975)8月15日に建立された。 太平洋戦争中「満州国北 [...]

伊尾川(いびがわ)の鵜森伏越樋管と伊藤伝右衛門と祖父江の庄屋

寛永11年(1634)、預所6万9千石を知行する戸田氏は摂津尼崎城より転じた以後、大垣領内の新田開発について特に南部の洲本、浅草、多芸島の開発に尽力し、祖父江輪中の悪水を杭瀬川を伏越し、大垣輪中に水路を造り、横曽根より鵜森(うのもり)樋門により伊尾川へと排水が [...]

北尾春圃の家系と墓地

北尾家の祖、信広は天文22年(1553)年に没し、以後6代目の玄圃(能医)を父とする7代目が初代春圃であり大いに活躍した名医であった。万治2年(1656)に生まれ、寛保元年(1741)に83歳で没した。子供は5人、男子ばかりで、春竹、春倫、道仙、春達、春泰で、 [...]

北尾春圃と室原

名医、北尾春圃(きたおしゅんぽ)は万治2年(1659)に不破郡室原村の医家に生まれた。彼は青年の頃に発奮して医学を学び、大変成績も良く、大成して診察を請う者が次第に増え、春圃の名声は大いに上がった。大垣藩、戸田候は医家春圃に20人の扶持を与えて大垣船町、全昌寺 [...]