その他

養老町橋爪のO氏宅の門柱に「山田用水」と刻まれた石柱が使われている。山田用水に関わるものと考えられるが、未調査のため詳細は不明である。

竜泉寺の六社神社北側にある倉庫に半鐘が残っている。昭和38年(1963年)頃に火の見櫓が現在の位置に移転されるまで、実際に使われていたものと考えられている。火の見櫓の元位置は、現在竜泉寺子ども会の花壇がある場所であり、昭和38年(1963年)頃までは旧自治会館
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養老には文化人がいない。江口夜詩に代表される上石津町は殿様の町として、文化的な基盤ができており文化レベルが高い。旗本高木家陣屋のある上石津町宮を中心として木田家など文化的なことに関心が高い人が多いように思う。昭和初期、上石津町の学生は進学の為、大垣市や岐阜市で
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鷲巣(わしのす)の人たちがバスを借りて、知多半島の野間大坊(真言宗の寺院。源義朝の墓がある)へ行った。見せて頂いた屏風絵の中に、鷲栖玄光(わしのすげんこう)が後ろを向いて馬に乗っている絵があった。野間大坊のご住職から、敵に背を見せて逃げないためであるという説明
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山田貞策の孫であるA氏は養老町大巻高柳から渡船で川を渡って津島へ嫁いでいった。
大巻高柳で医院を開業していた昭和の始め頃、A氏は高柳と塩田(八開村)の往来は、渡船に自転車を積んで木曽川と長良川を渡って行った。または中堤(県道106号)から治水神社の脇を通り、
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