野村鋳物師
養老町金屋(かなや)の鋳物師集団は、文明11年(1478)谷汲山華厳寺の鰐口、天和4年(1618)安八郡平野庄末守村の信願寺の鐘等、13世紀末から17世紀初頭まで多芸郡金屋村での在地鋳造が明らかになっている。大野町教育委員会の飯沼敏克先生の資料によると「大野町 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
多芸西部
養老町金屋(かなや)の鋳物師集団は、文明11年(1478)谷汲山華厳寺の鰐口、天和4年(1618)安八郡平野庄末守村の信願寺の鐘等、13世紀末から17世紀初頭まで多芸郡金屋村での在地鋳造が明らかになっている。大野町教育委員会の飯沼敏克先生の資料によると「大野町 [...]
織田河内守長孝(おだかわちのかみながたか)領屋敷は、現在の安久(やすひさ)地内、名神高速道路南の正覚寺、須賀神社付近にあったと推定されるが、同寺社ともに江戸期の創建であり、屋敷が所在していたであろう時期と重複している。安久村は江戸初期、正保(1596)頃郷帳に [...]
揖斐郡大野町大字野に大野町指定天然記念物「野村モミジ」というカエデがある。このカエデはイロハカエデの変種とされ、重厚な風情の庭園修果樹として造園師は数寄屋造りの庭に、家主の風流のたしなみと頭するとして好んで用いられた。野村モミジは養老の滝の元にあった楓の古木か [...]
昭和24年、名古屋大学の眼科教室の学生であった半田登喜代氏は、4月に長女出産の予定で、大学を休んでいた。1月は、半田氏のご主人が各務原にいたので、そこで毎日靴下のつぎをするなどしていた。2月に配給のお米を取りに行き、1俵弱を担いで帰る時に破水してしまった。どん [...]
明治の頃までは多芸橋は大きな橋ではなく、木造の小さな橋であった。