竜泉寺の半鐘
竜泉寺の六社神社北側にある倉庫に半鐘が残っている。昭和38年(1963年)頃に火の見櫓が現在の位置に移転されるまで、実際に使われていたものと考えられている。火の見櫓の元位置は、現在竜泉寺子ども会の花壇がある場所であり、昭和38年(1963年)頃までは旧自治会館 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
災害
竜泉寺の六社神社北側にある倉庫に半鐘が残っている。昭和38年(1963年)頃に火の見櫓が現在の位置に移転されるまで、実際に使われていたものと考えられている。火の見櫓の元位置は、現在竜泉寺子ども会の花壇がある場所であり、昭和38年(1963年)頃までは旧自治会館 [...]
1980年頃までは大人が二人手を繋いでも幹を一回りできないほどの大きなケヤキが小倉地内に何本かあったが、落雷等で倒れてしまった。
養老町大巻美波(旧下組)には2ヶ所に門徒講組織があって今日も続けられている。 そのうち二十二日講は、寛政4年(1792)2月22日に本願寺第十九世であった乗如の示寂にともない、達如が第二十代法主を継承したことに由来する。講は蓮如上人の御文の拝読を中心とし [...]
祖父江村には条里の名残の一之坪という字名があり、村の開発は相当古いと思われるが、相川、杭瀬川、小畑川などに囲まれた低地であったがために、数多くの悪水吐樋や悪水落江を必要とした。祖父江輪中は3600mに及ぶ長さの堤防によって守られて来たが、その為に悪水の排除に苦 [...]
祖父江輪中と江月輪中は1700年代の江戸時代中期頃、輪中形成時に小畑川からの水田用水の水利権を確保し、また新田開発や悪水の排除にも障害が生じないように約定が結ばれていたが、領主が異なる祖父江村と江月村の落江排水などの問題については、関係村々が主体的に交渉し協議 [...]