橋爪・室原には文化人が多いが祖父江付近は文化人というよりも上田やす氏に代表されるようなバイタリティ溢れる人が出ている。上田やす氏は明治中期に祖父江で生まれた、上田石灰㈱(大垣市赤坂)の創始者である。
祖父江の高木源太郎氏の娘、やすは上田石灰の創始者上田治一の妻で、岐阜県の女傑100人の内の一人に数えられる。百姓の娘だが、旦那と共に船を持ち、船頭として、赤坂湊から杭瀬川経由で石灰を積んで名古屋まで運ぶ仕事をしていた。帰りは名古屋から石炭を積んできた。石灰は菓子屋などで乾燥剤に、戦争中は火薬を包装するためのセロハンの原料などに使われた。
明治になってからは鉄を精錬するための石灰の需要が増えた。明治維新の時に赤坂山が2000円で売りに出て、上田石灰、矢橋工業、河合石灰の3石灰メーカーが共同で赤坂山を買い、石灰製造をした。また上田やす氏は故郷の寺社に恩返しをするため、祖父江八幡神社に狛犬一対、楽邦寺に灯籠を寄進している。

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玉洞寺(ぎょくとうじ)の開祖は法名軸によれば了春(りょうしゅん)といい、寛文3年(1663年)に没している。
玉洞寺は杭瀬川堤防脇に建てられていたが昭和37、38年(1962、1963)杭瀬川の堤防増築工事の際に現在地に移築された。総代との相談の結果、鉄筋の御堂が新しく建てられ、石製の門はそのまま移築された。移築前は、門が堤防にあり、境内は堤防の下にあった。移転の際は稚児行列を行った。
現在江月周辺の門徒が約60軒と他所門徒10軒である。現住職(平成22年)で14代目となる。お寺の年行司は江月の住民が順番で務めている。
江月の中でも上江月が一番門徒が少ない。佐竹、近藤、日比家が他所門徒である。玉洞寺では報恩講、女人講、永代経などの行事がある。報恩講はもとは1月26日~28日に執り行われていたが、2010年現在は12月の第2土・日曜日に変わった。江月に嫁いだ人は、最初の報恩講のときにお姑さんとお斎につく事になっていたが、現在ではそういった行事は見られない。門徒に気を使わせるので現在では報恩講の案内も出していない。住職の記憶にある限りでは、花まつりは行っていない。伊勢湾台風などの水害は堤防の上にあった玉洞寺には影響はなかったが、江月村の被害は大変であったらしい。

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江月の氏神は隼人神社である。
もとは玉洞寺の境内に隼人神社があったが、1600年頃、廃仏毀釈よりも遥か前に分社した。
土地改良の時に江月の隼人神社に八幡神社を合祀した。
江月の隼人神社総代は4人おり、八幡神社、隼人神社は一緒に管理している。お祭りなどの行事は昔から江月全体で行っている。大神宮も元は下江月にあったが今は隼人神社境内に一緒に祀っている。津島天神と地蔵は元からの位置のまま現存する。

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大坪の若宮八幡神社のあたりに、もとの大坪村があった。
昭和24年(1949)以降の財産目録帳は保管されているが、それ以前の文書や政教分離を目的に神道指令が出された昭和20年(1945)の帳簿等は洪水により流失している。同じく歴代総代名簿も流失している。神社の登記書類は残っている。財産目録は毎年神社庁岐阜県支部に提出する。若宮は応神天皇の若いときを指すが、大坪の氏神として応神天皇がなぜ祀られているのかは不明である。神殿を作り変えた遷座祭の時に、江戸後期~明治初め頃の病気平癒祈願のお札が300枚ほど見つかった。今はどこでお札を保管しているかは分からない。
神仏習合では本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想に表れているように、神社が寺院中心のあり方になっており、鷲巣・白山神社や薬師院が顕著に現れているのではないかと思う。若宮八幡神社にも寺院があったかもしれないと思っている。
若宮八幡神社の神殿で行われる祭りは、1月は正月の歳旦祭(さいたんさい)、2月は祈年祭、その他春祭り、秋祭りなどがある。
大坪は若宮八幡宮を中心にした生活だった。若宮八幡宮を中心にして集落ができた。現在の若宮八幡宮の秋の大祭は新興住宅も合同で行われる。大幸プラスチック工業㈱から御神輿が寄進されている。神仏分離令の時に元宮寺若宮庵(もとみやでら じゃっきゅうあん)の本尊である大日如来を薬師院に移動した。
神社に人が集ってもらえるように工夫が必要であると考えて、伊勢神宮から比叡山までの寺社仏閣を巡る百箇所参拝の企画を出したり、玉串の数を増やす、神社でくつろげるように椅子を用意するなどの努力をしている。総代の後継者がおらずこの先どのように氏神をお奉(たてまつ)りしていくかが問題である。

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祖父江の八幡神社の境内には樹齢500年程の松の大木が4~5本あったが、昭和34年(1959)伊勢湾台風や落雷で倒れてしまった。鎮守の森の復活を目指して木を植える活動に取り組んでいる。
「美濃国諸旧記 濃陽諸士伝」(大正4年発行、大衆書房)p.343によれば、祖父江の八幡神社には段海城主の墓があると伝承されている。
実相寺に八幡神社(祖父江)の記録がある。

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