玉洞寺(ぎょくとうじ)の開祖は法名軸によれば了春(りょうしゅん)といい、寛文3年(1663年)に没している。
玉洞寺は杭瀬川堤防脇に建てられていたが昭和37、38年(1962、1963)杭瀬川の堤防増築工事の際に現在地に移築された。総代との相談の結果、鉄筋の御堂が新しく建てられ、石製の門はそのまま移築された。移築前は、門が堤防にあり、境内は堤防の下にあった。移転の際は稚児行列を行った。
現在江月周辺の門徒が約60軒と他所門徒10軒である。現住職(平成22年)で14代目となる。お寺の年行司は江月の住民が順番で務めている。
江月の中でも上江月が一番門徒が少ない。佐竹、近藤、日比家が他所門徒である。玉洞寺では報恩講、女人講、永代経などの行事がある。報恩講はもとは1月26日~28日に執り行われていたが、2010年現在は12月の第2土・日曜日に変わった。江月に嫁いだ人は、最初の報恩講のときにお姑さんとお斎につく事になっていたが、現在ではそういった行事は見られない。門徒に気を使わせるので現在では報恩講の案内も出していない。住職の記憶にある限りでは、花まつりは行っていない。伊勢湾台風などの水害は堤防の上にあった玉洞寺には影響はなかったが、江月村の被害は大変であったらしい。

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江戸時代からの水害には玉洞寺は堤防上にお堂があったので、寺にはほとんど被害はなかったが、住民は非常に難儀した。農民は他の地へと移住した記録が残っている。 表示位置は玉洞寺を示している。