大坪の若宮八幡神社のあたりに、もとの大坪村があった。
昭和24年(1949)以降の財産目録帳は保管されているが、それ以前の文書や政教分離を目的に神道指令が出された昭和20年(1945)の帳簿等は洪水により流失している。同じく歴代総代名簿も流失している。神社の登記書類は残っている。財産目録は毎年神社庁岐阜県支部に提出する。若宮は応神天皇の若いときを指すが、大坪の氏神として応神天皇がなぜ祀られているのかは不明である。神殿を作り変えた遷座祭の時に、江戸後期~明治初め頃の病気平癒祈願のお札が300枚ほど見つかった。今はどこでお札を保管しているかは分からない。
神仏習合では本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想に表れているように、神社が寺院中心のあり方になっており、鷲巣・白山神社や薬師院が顕著に現れているのではないかと思う。若宮八幡神社にも寺院があったかもしれないと思っている。
若宮八幡神社の神殿で行われる祭りは、1月は正月の歳旦祭(さいたんさい)、2月は祈年祭、その他春祭り、秋祭りなどがある。
大坪は若宮八幡宮を中心にした生活だった。若宮八幡宮を中心にして集落ができた。現在の若宮八幡宮の秋の大祭は新興住宅も合同で行われる。大幸プラスチック工業㈱から御神輿が寄進されている。神仏分離令の時に元宮寺若宮庵(もとみやでら じゃっきゅうあん)の本尊である大日如来を薬師院に移動した。
神社に人が集ってもらえるように工夫が必要であると考えて、伊勢神宮から比叡山までの寺社仏閣を巡る百箇所参拝の企画を出したり、玉串の数を増やす、神社でくつろげるように椅子を用意するなどの努力をしている。総代の後継者がおらずこの先どのように氏神をお奉(たてまつ)りしていくかが問題である。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)=日本の神々は、実は様々な仏・菩薩・天部などが化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え。
表示位置は大坪の若宮八幡神社を示している。