橋爪・室原には文化人が多いが祖父江付近は文化人というよりも上田やす氏に代表されるようなバイタリティ溢れる人が出ている。上田やす氏は明治中期に祖父江で生まれた、上田石灰㈱(大垣市赤坂)の創始者である。
祖父江の高木源太郎氏の娘、やすは上田石灰の創始者上田治一の妻で、岐阜県の女傑100人の内の一人に数えられる。百姓の娘だが、旦那と共に船を持ち、船頭として、赤坂湊から杭瀬川経由で石灰を積んで名古屋まで運ぶ仕事をしていた。帰りは名古屋から石炭を積んできた。石灰は菓子屋などで乾燥剤に、戦争中は火薬を包装するためのセロハンの原料などに使われた。
明治になってからは鉄を精錬するための石灰の需要が増えた。明治維新の時に赤坂山が2000円で売りに出て、上田石灰、矢橋工業、河合石灰の3石灰メーカーが共同で赤坂山を買い、石灰製造をした。また上田やす氏は故郷の寺社に恩返しをするため、祖父江八幡神社に狛犬一対、楽邦寺に灯籠を寄進している。
表示位置は祖父江の八幡神社を示している。