洪水に備えて、多芸輪中には16ヶ所で水防の準備がしてある。水防倉庫には杭木・布木・空俵・麻袋・カマス・針金・ペンチ・タガネ・ワイヤー・のこぎり・まさかりが保管してある。
大野の集落は昭和34年(1959)8月の伊勢湾台風で牧田川根古地右岸堤が決壊、建設省(現国土交通省)の命により集落の80%程が移転した。多芸輪中は海抜が低いので昔から、この地域には高屋敷に水屋を作り避難場にしていた。普段は米・味噌・梅干・着物・大切な物を保管した。
昭和36年(1961)の土地改良や、また住宅移転により集落の住宅の並びが整然とした外観になった。
大野村の庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏の屋敷は昭和36年に土地改良の時に取り払われて、田畑となった。平成22年現在、屋敷跡は稲荷大明神が祀ってある。
大野の庄屋渋谷代衛氏は5~6町歩の土地を持っていた。養蚕、消防、治安維持、教育に力を入れた。渋谷代衛氏の顕彰碑が養老の唐谷に有る。
大野の稲荷大明神(大野639)は渋谷氏の守り神社であった。
当時養老町内で文化レベルが高かったのが笠郷だが、その基礎を作ったのが渋谷代衛だと思う。賢い人だった。
養老公園の開発にも携われて顕彰碑もある。
渋谷代衛のお墓は名古屋にある。
笠郷では渋谷家が一番古い家柄で600年くらい経っていると思う。
渋谷代衛の2番目のお嬢さんが町会議員を1期か2期やられて役場に勤めていた。
栗笠の報恩講は専了寺興専寺ともに11月に行う。専了寺は3日から5日までの3日間、興専寺は20日から23日までの4日間執り行う。内容については、御伝鈔(ごでんしょう)を拝読したり、女人講や報恩講を行ったりと、2箇寺で大きく異なる点はあまりないが、興専寺の方は栗笠保育園を運営している関係から、親鸞上人に関するアニメを放映する日がある。
上之郷の地蔵盆の様子は以下の通りである。
地蔵堂の向かいの道路の脇に「南無地蔵菩薩」と書かれた旗を2本立てる。地蔵堂の中に12本位の蝋燭を立て、明かりを灯す。9時30分より浄誓寺、浄雲寺、願専寺の3箇寺の住職による読経が始まる。3名の住職が扇形に座り、要の位置に座った住職がお経をあげながら時々鉦を鳴らす。お経は3名の住職が同時に唱和する。10時頃からは各自治会長が中心となり地蔵堂の前で鉦を鳴らしながら守をする。2人1組になり90分交代で行う。
守をする人には昼と夜に弁当が振る舞われ、各戸にはお供物を配る。現在のお供物は大福が2個だが、以前は鏡餅のような堅いお餅だった。夕方になると子供達が参りに来るようになり、菓子を配る。以前は西瓜や梨など果物を切り分けて配っていた。
以前は、櫓を組み紅提灯(べにちょうちん)を吊るして明かりを灯していた。また、昭和35,6年頃まではプロの浪花節の興行を呼んだり、昭和40年代頃までは浄誓寺の境内で映画の上映会を催していた。昭和の終わり頃までは夜9時頃まで行っていたので、夕飯を食べて浴衣に着替えてから参りに行った。
日にちも、8月24日に行われていたが、生活スタイルの変化により24日より前の日曜日に行うようになった。一日がかりで執り行うことは以前から変わっていない。