養老町全域

明徳4年(1393)に足利義満(あしかがよしみつ)が養老観瀑に訪れた際、津屋川(つやがわ)を船で上り、明徳(みょうとく)の湊から上陸し養老の滝を訪れた。義満が上陸した最寄りの神社が養老町明徳の船着神社(ふなちゃくじんじゃ)であるといわれている。船着神社の由緒書
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橋爪のA氏は太平洋戦争を始め、フィリピン、朝鮮、中国南京などの外地にも出征された体験を持つ。
始めは陸軍自動車隊に入ったが、その後航空隊に転科し戦闘機にも乗った。伊勢湾の上空でエンジンが停止し、墜落しそうになったが落ちて行く時の風圧でエンジンが回り始めて助か
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養老孝子伝説の中の、水がお酒になる部分に関して、民俗学者の柳田國男(やなぎだくにお)は、霊水である岩清水で新酒を作ったことを表したものであると述べている。また、養老孝子伝説には元正天皇も登場するが、A氏は養老孝子伝説は元正天皇の御名から、源丞内(げんじょうない
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上之郷では虫送りを行っていて、和田の人が見に行った。実盛(サネモリ)さんという人形を作り、松明を持って金草川まで虫を送った。

明治24(1891)年の濃尾大震災前に、鷲巣(わしのす)字八千代原に八千代学校が出来た。鷲巣、明徳、石畑、白石の村立学校であった。震災で一度学校が潰れたが、やがて元通りになった。その後も生徒は鷲巣、白石、明徳、石畑から通っていた。