山田用水では昔は蛍が多く生息し、蛍の光で「新聞が読めるほどだった」といわれる。象鼻山のふもとにはウバボタルやヤマボタルと呼ばれる蛍が見られた。ヘイケボタルの見頃は6月~8月までである。生活排水がなくなれば蛍ももっと増えるのではないか。
豊では2009年から蛍の放流を行ったが、2010年は失敗した。理由は蛍を放流した吉田神社前の水路が上流からの水田排水により濁ってしまった為。一年目は水田が休耕だった為に水が濁らなかった。昔は豊の西の住宅脇の水路でも蛍が見られた。
杉本は昔から火葬だった。御代本が使われるようになったのは昭和50年代後半以降のことである。手次ぎ寺の御代本を借りて行った。
子供のみ土葬があった。
法要は、3回忌くらいまでは勤める。
先祖代々の供養として永代経が勤められる。8割以上の葬儀が家で行うことは無くなったが、核家族化の影響で、家族葬が多くなってきた。
北野の葬式では浄蓮寺(じょうれんじ)、正覚寺(しょうかくじ)、応順寺(おうじゅんじ)、長願寺(ちょうがんじ)、西徳寺(さいとくじ)、西勝寺(さいしょうじ)から住職を招く。その内、浄蓮寺、正覚寺、応順寺、長願寺は北野の村民の手次ぎ寺である。
中では、昭和後期まで土葬が行われていた。また寺より御代本をお借りして、御道具もすべて貸し出しした。庭勤め(かどづとめ)の読経の後、野辺の送りの行列をして三昧に向かった。墓地に斎場があり、喪主ははだしで、親族は鼻緒が白い和紙で作られた藁草履で野辺の送りを行った。
三昧では、レンガ造りの火葬炉で火葬を行った。
昭和の初め頃は穴を掘った中で胴藁を着火剤として火葬をした。昭和51年に葬式行列があり、リヤカーで御棺を運んでいた。棺を火葬場まで担いでいった様子を模して、家族や親類のみが棺を担ぐ所作をする、肩入れの儀式を行う道具があり、2010年現在もお寺の葬式では使用される。
北野、仁位では岐阜県の希少野生生物にも指定されているハリヨという魚が多くいた。
仁位では最近しじみの生息数が増えたが原因は不明である。他にはツバメやスズメが減っており、スズメ口という瓦と軒の間に隙間がある造りの家が減り、巣をかけられる場所が減った為か、または餌が少なくなったせいかもしれない。
水温の低い所にしか生息しないイモリやアブラハヤが多くいる。
近年では鹿が山から下りてくるようになり、仁位付近の田んぼの真ん中で狸も見られるようになった。