赤岩神社の創立は今から明治末期頃である。朝早くから山に入って行った天野庄市氏が大きな蛇を見たのが始まりで、大蛇が御神体であるといわれていた。
一方、鏡が御神体であるという意見もある。
赤岩神社には本社は無く、単立の神社である。また、赤岩神社の奥の院には明治末期に前に発見された赤い岩が祀られている。奥の院まで入ることを許されている人は限られていた。
赤岩神社は商売の神様であると言われており、岐阜市から毎月タクシーで参拝にこられる芸妓さんがいた。地元の方が芸妓さんにご利益があるか尋ねたところ、他の神社の3倍のご利益があると言われた。
現在も、商売繁盛・健康祈願に訪れるなど、参拝者は比較的多い。
赤岩神社は昭和50年頃まではA氏が主体となって祀っていたが、高齢のためお守りが難しくなり、今は区で回り持ちで世話をしている。
赤岩神社のお祭りは4月8日に行う。
宮議員は小倉の八幡神社と同じで、南・北小倉でそれぞれ選出し、任期は3~4年である。

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田ではお初夜講(おしょやこう)を行っている。いつから始まったのかは不明である。昔、水害の時に流れ着いた高さ25cmほどの阿弥陀仏像があり、もったいないので部落でお守りするようになったという話と、田村で祀られていた阿弥陀さまを廃仏毀釈から守るため、集落全体で順番に回すようになったという話がある。阿弥陀仏像は60cmほどの厨子に保管されている。現在では集落を12の班に分けて、その仏像を1カ月ごとに預かり、次月は次の班へ送る。送るのは仏像だけでなく、仏具、月別守当番帳、月別守記帳、真如上人の御文、虫供養法要帳、仏事記帳などがある。年1回、11月に集会所に仏像を祀り、明楽寺から住職を招いて法要を営んでいる。
4、5年前まではお初夜講を2日間かけて行っていて、内1日は別の寺から住職を招き説教をしてもらったり、御供物を作っていた。
明楽寺では永代経のほか12月の報恩講がある。また、虫供養の時にお経を上げてもらっている。
田では昭和49年ごろまで養蚕をやっていたので、その当時は蚕を供養するという意識が強かった。世話役が3人いるが、現在では中止しようという声も出ている。
明楽寺に歴史的な資料は全く残っていない。
田の住民の7割が明楽寺の門徒で、残りの3割が他所門徒である。
明楽寺の報恩講は12月の第3週の土日に行われている。以前は4日間行われていた。
報恩講は年行司が中心になって行い、明楽寺の親戚筋も担当している。門徒が準備から会計まで執り行う。報恩講では通常お昼にお斎となるが、明楽寺では朝のお斎もある。
明楽寺のお葬式の特徴として、法要のお布施は手伝いの人が相談して、どの家もほぼ均等になるように決めている。お寺としては物価に合わせてお布施の値段が上がっていかないという悩みがあるが、値段が吊上がっていってしまうのを防いだり、相場が分からないという人に対応するためである。

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養老町上多度小倉には白龍社がある。未調査のため、詳細は不明である。

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白山神社(鷲巣)の祭神は伊弉冉命(いざなみのみこと)、合祀伊弉諾命(いざなぎのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)である。境内社に神明神社、龍田神社、秋葉神社がある。文久元年(1861)に横綱鬼面山谷五郎から奉納された石灯篭がある。
鷲巣の白山神社の例祭は10月の体育の日に開催される。当日は午前8時45分から神事を行う。
子ども神輿2台が出る。神官による挨拶の後、神輿と子どもをお祓いし、お供え物を手渡しで並べて祝詞をあげる。
白山太鼓を数分叩き、子ども神輿は町内の練り歩きを始める。以降、夕方まで空き時間に太鼓の練習もする。
午後7時30分頃、提灯行列が出発し、白山太鼓が白山神社境内にて奉納される。約1時間ほど続く。
白山神社の取り壊された山門に関しては、分からない。誰かが寄付して作りなおしたのであろう。
鷲巣(わしのす)の白山神社の北側にある、字神屋田(かみやだ)は中世の頃は、伊勢神宮領であったと聞いたことがある。

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小倉神明神社の成り立ちは、明治の始めの頃に下笠から数名の人々が北小倉に移住してきたことに始まる。移住してきた人々は津屋川の北側に新田を開拓し、その豊穣を願って建立されたのが小倉神明神社である。
北小倉の3~4班の何軒かの人が津屋川北の田の持ち主であり、新田組と呼ばれて、この祭を行っている。
祭の形式は簡素で、昔から変わっていない。しかしながら農作物の豊作や収穫への感謝からの神事であり、この先も省略することはあり得ないとのことである。
同時期に上多度小学校の近くの祠でも小祭りの神事がある。小倉神明神社との関係は無い。

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