牧田川では川に大網を張り魚を取る地獄網漁や、夜にガス灯の明かりに魚を集めて取る火振り漁などが行われ、名古屋のほうからハエや鯉釣りに来る人もいた。
昭和10~20年頃、長良川の鵜飼船が7~8隻、烏江東側の牧田川で冬期間の鵜の訓練をしており、烏江渡しのあたりで停泊し、2週間ほど鵜匠が舟で寝泊まりしていた。

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烏江地内、金草川作造橋(さくぞうばし)の北には大正末期から縄打屋が3軒ほどあったが、現在は1軒だけが縄屋を続けている。縄は舟を繋ぐ、荷を縛るなど舟関連の仕事に必要だった。
縄屋のうち1軒は、昭和には綿ロープやタオル屋に商売変えした。
かつて烏江湊のおかげでこの地は栄えており、飲み屋や自転車屋、煙草屋、宿屋などが軒を連ねていた。
烏江は養蚕がさかんであった。A氏の家では蚕の仲買人を100年程前にしていた。烏江の他には船附、栗原、江月一帯でも養蚕をしていた。養蚕は昭和24・25年頃まで続けられており、夏は養蚕に使う莚(むしろ)を牧田川で洗っていた。

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烏江という地名は、渡来した中国人が中国の「烏江(うこう)」という土地と風景が似ているためつけられたと伝えられている。
近鉄の線路を境に、線路の北側を北屋敷、南から排水機辺りまでを中屋敷、そこから南を下河原といった。

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瀬田輪中水防組合の事務所が、八幡神社(烏江)の真東の堤防沿いにあった。瀬田輪中水防組合の看板が現存している。
烏江輪中堤防の高さは、烏江西の新除川橋(しんよげがわばし)の北側に昔定杭があり、そこを基準とした。
高田落江からは牧田川へ水を落としていた。
金草川の水は、樋管からサイフォンで杭瀬川に排水していた。金草川のサイフォン跡は牧田川中央に現存している。
昭和12年第1回牧田川改修工事の時に堤防に建てられていた40軒程の家は全て移転した。
現在の烏江北側の堤防から降りる道路あたりに昔樋門があり、藤田廣美氏の祖父の名前から秀助樋管(ひですけひかん)と名付けられていた。江月からの水は秀助樋管からサイフォンを通して烏江駅高架一番ガードあたりの水路を経由して金草川に流し、金草川から笠郷の大野村へと排水していた。秀助樋管は現存しない。
栗笠用水は金草川から水を引いている。
牧田川と杭瀬川の背割堤の上に分流竣工記念碑が建立されている。
伊勢湾台風前の集中豪雨による牧田川の決壊により、分流竣工記念碑が牧田川の川底に沈んだが、建設省により引き揚げられた。
昭和18・19年頃は、金草川の河川改修の夜間アルバイトに行った。
牧田川河川改修による住宅移転では、ほとんどの住民が近隣の所有地に移転した。その為、昔の烏江北と烏江南の瀬古割は解消され現在は10戸ずつで隣保班全10班を構成している。
A氏の一族は、西勝寺の分家であり門徒である。水害により宇田から烏江に移ってきた。
B氏の一族は江月から来た。
烏江住民は宇田の西勝寺、祖父江の楽邦寺など、他所門徒が多い。
烏江の西の水田は江戸末期の新田開発から土地改良前まで陸続きで入れる堀田になっており、2m幅の堀になっていた。稲刈り後、堀田の水路でフナ・ナマズ、カラスガイなどが獲れた。ポンプで堀田の水を抜いて、網等で魚を獲る換取漁法(かえとりぎょほう)も行われた。
しかし、パラチオンという農薬を散布していた為、生き物が減った。パラチオンは昭和46年に使用禁止になった。
昭和17~18年頃まで、烏江の渡し場があった。烏江橋は渡船場のあった辺りに牧田川と杭瀬川の分流後建設された。
A氏の父は大正10年頃まで舟運業を営み貨物船で赤坂通いをしていた。赤坂山より石灰を名古屋に運び、その帰りに名古屋の石炭を桑名経由で赤坂湊、大垣湊へと運んだ。大垣へは水門川を上り、赤坂へは杭瀬川を上った。
昭和15~20年(1940-1945)頃に烏江で小作と地主の農地所有に関する争いがあった。昭和22年の農地解放当時はA氏が烏江の地主だった。
烏江の飛び地は大垣養老高校(祖父江1418-4)あたりに5反程あり、桑畑であった。また江月の名神高速道路あたりの小畑川ダム付近にある烏江の飛地は、燃料となる薪等を確保する林であった。現在は水田となっている。

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烏江で伊勢迎えをしていたという記憶はない。
1月第3週の日曜日頃に八幡神社の境内で左義長を行う。粥占いは5年程前までは行われていたが、現在は行っていない。
粥占いと左義長は同じくらいの時期に始められた。
虫送りは昭和20年代は行われていた覚えがある。八幡神社から烏江駅方面に向い、村の周辺を火を灯して歩いた。

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