烏江地内、金草川作造橋(さくぞうばし)の北には大正末期から縄打屋が3軒ほどあったが、現在は1軒だけが縄屋を続けている。縄は舟を繋ぐ、荷を縛るなど舟関連の仕事に必要だった。
縄屋のうち1軒は、昭和には綿ロープやタオル屋に商売変えした。
かつて烏江湊のおかげでこの地は栄えており、飲み屋や自転車屋、煙草屋、宿屋などが軒を連ねていた。
烏江は養蚕がさかんであった。A氏の家では蚕の仲買人を100年程前にしていた。烏江の他には船附、栗原、江月一帯でも養蚕をしていた。養蚕は昭和24・25年頃まで続けられており、夏は養蚕に使う莚(むしろ)を牧田川で洗っていた。

Posted in 経済, 高田 | Tagged | Leave a comment
表示位置は作造橋を示している。