三方山の頂上には牧場があったと聞いている。牧場とは言ったが実際に牛がいたかどうかは定かではない。牧場には滝からか、もしくは上石津の方から上がったのではないかと思う。上石津側の麓は海抜が高い為、頂上までの距離が短い。養老側からは滝から上がるルートのみである。
戦時中三方山に戦闘機が気圧の変化のせいか墜落し、現在も慰霊碑が2基残っている。供養は毎年9月5日に直江が行っている。戦闘機の残骸は京ヶ脇の稲荷神社に下ろされたと伝えられている。
三方山より北に笹が生えており、昔はそこまで草刈りに行き背板(せた)に背負い、イシバ(漢字不明)と呼ばれる木で作った橇に草を乗せて引っ張って運搬した。刈った草は、牛の飼料や畑の肥料に使われた。小倉谷から登るルートは現在は荒れてしまった。笹が燃え、山火事が発生したことがある。

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桜井では養老山に風穴がありそこを通って神社の湧水が湧き出ていると伝えられているが、風穴の場所ははっきりとしない。白鳥神社の入り口にある池は、大雨が降ろうと渇水になろうと水位が変わることがない。山手では鹿が作物の新芽を食べてしまう等の被害がある。

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竜泉寺の天然記念物の椋(むく)の木の樹齢は700~800年程ではないかと思う。車が両脇を通るせいか、だんだんと枯れてきている。西脇孝雄氏が区長になられてから、枯れ枝を払うため、枝下ろしを3回ほど行っている。幹の内部は、おそらく空洞になっているのではないかと思う。

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昭和7,8年頃に沢田の子供達は牧田川へ泳ぎに行った。一之瀬の堰堤の前が2-3mと深かったのでそこで上級生と泳いで泳ぎを覚えた。鮎・ウグイ・シラハエ・アカンバ(ババ)、石のそばにはイシンコロという小さな魚がいて、たくさん取った。堰堤を作ってからは魚がどんどん少なくなった。

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柏尾地区は、一村一神社一箇寺であり、神明神社と存徳寺を擁する。団結力があり、協力体制が整いやすい。全体の戸数は旧柏尾村では31軒が昔から住んでおり、南の方に旧柏尾村からの新家で3軒ほど、白鶴荘あたりを新開地と呼び17~18軒ほどで構成されている。新開地の方は、存徳寺門徒でない家が多いのではないかと思う。
柏尾地区には4班あり、構成は存徳寺から東へ下る道を挟んで南北に二分し、更に東西に二分する。総代長は家の並び順で1年毎に交代される。総代長の両隣りの2軒が総代を務める。
存徳寺の西方に柏尾城があった。城主や築年代などは不明である。

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