和田の報恩講
和田では結婚したら報恩講の時は、姑が嫁を連れてお参りに行った。現在はそういった習慣はない。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地域
和田では結婚したら報恩講の時は、姑が嫁を連れてお参りに行った。現在はそういった習慣はない。
戦中当時は子どもの弁当の差が歴然としていた。百姓の子は自分の家で作っているもので弁当を作って持ってきていたが、今尾は町なので、弁当を持ってこられなかった。家に帰っても、食べるものが無く、マツバシ(字下笠の地名)でお昼が終わるのを待っている子どももいた。こっそり [...]
A氏は昭和17(1942)年頃中学を卒業し、同年4月幹部候補生に志願した。お父様に報告すると、幹部候補生は特攻隊になると言われた。同年11月に特攻隊になる予定であった。終戦間際の昭和19(1944)年頃は、生年月日順に徴兵されたと聞いた。A氏は11月生まれなの [...]
昭和12(1937)年7月7日の日中戦争勃発、翌年の国家総動員法により日本は軍国主義に入った。その洗礼を真っ先に受けたのが教育であった。昭和10年代後半は、中部地方は東部軍管区であった。A氏が中学3年生の時に予科練が出来、全員志願するように言われた。陸士(陸軍 [...]