タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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先人

魚新

川魚専門店の魚新は大正7年、江月で先々代が、近所の人が持ってくる魚をさばいて食べさせたのが始まりである。三神の人から魚を仕入れて、大垣・養老へ自転車で売りに行った。 魚新の佐竹家が所有する田が一町五反くらいあった。人が田へ行くためと牛用に、二艘の船があった。 [...]

佐竹家

佐竹家(飯田143)は、多良の旗本高木三家の内、北高木家の建物を明治5年に移築したもので、式台(しきだい)様式の玄関、侵入者対策になっている母屋の釣天井に特色がある。 名古屋市立大学の助教授に調査してもらったら、間違いなく高木家のものだった。助教授によれば、 [...]

鷲巣の白山神社

白山神社(鷲巣)の祭神は伊弉冉命(いざなみのみこと)、合祀伊弉諾命(いざなぎのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)である。境内社に神明神社、龍田神社、秋葉神社がある。文久元年(1861)に横綱鬼面山谷五郎から奉納された石灯篭がある。 鷲巣の白山神社の例祭 [...]

横屋の庄屋と村民

寺倉氏は横屋の庄屋として部落の北の方に居住していた。そこに出入りする小作は、菊を作るように命じられていた。現在寺倉氏の屋敷は取り壊されており、存在しない。 横屋の平松不殺氏の下で働いていた田中又太郎の顕彰碑(大字横屋字下池地内)が、農地解放の恩恵を受けた人た [...]

橋爪の教育

江戸末期には村上杏園(むらかみ きょうえん)先生が橋爪の自宅の近くで私塾、博済室(はくさいしつ)を開いていた。 明治6年(1873)、橋爪の念長寺で日吉小学校の前身となる日新義校が開かれた。また同年、同じく日吉小学校の前身となる到遠(ちおん)義校が宇田に開か [...]