寺倉氏は横屋の庄屋として部落の北の方に居住していた。そこに出入りする小作は、菊を作るように命じられていた。現在寺倉氏の屋敷は取り壊されており、存在しない。
横屋の平松不殺氏の下で働いていた田中又太郎の顕彰碑(大字横屋字下池地内)が、農地解放の恩恵を受けた人たちによって下池に建てられた。

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養老郡史p.942によれば、横屋の庄屋は「慶応元年十二月 天野藤右衛門」とある。 表示位置は寺倉氏の屋敷を示している。