安久の飛地はかつては現在よりも多く存在したのではないかと考えている。
安久では名神高速道路建設に伴い仁位や宇田に移転していった民家もある。現在の安久の戸数は20戸弱である。
安久字五堂の田んぼに地蔵があった。土地改良の際に墓地に移され、その後滋賀県木ノ本町木ノ本地蔵院に預けられている。
多芸橋北下に安久の大庄屋大矢家の屋敷が有った。
安久の大矢家は広大な土地を所有しており、自分の敷地内を通って大垣まで行くことができたほどだった。大矢家はもともと安久の人ではない。流浪の絵描きが大矢家で襖絵などを書いて生計を立てていたが、大矢氏から財産を譲り受け、後に大矢玉秀(おおや ぎょくしゅう)、大矢玉文(おおや ぎょくぶん)と号し画家として大成した。
安久の祖先は多芸西部三神町多岐墳から転居して来たとされている。
安久地内の名神高速道路工事の際に地中より鉄滓が発見されている。
安久では過去から現在に至るまで馬頭観音はない。
7月14日に安久の天神さん祭りが行われる。
2010年現在、安久の飛地は本郷を含め3か所にある。昔は今より多くの飛地が存在した可能性があるが、正確なところは不明である。現在のJAにしみの養老北支店(安久12-1)も安久の飛地である。垂井町宮代にも安久という地名があるらしい。
安久ではJAにしみの日吉支店(安久166-1)があったあたりに研ぎ師がいたためか、明治以前は安久村字研屋という地名であった。

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