教育

笠郷地区では、昔は番水制があった。田んぼの水が不足すると順番待ちだったので田植えの時期が遅くなった。水が入るとすぐにお互いに手伝いに行った。
笠郷地区の田んぼに水を入れるため、昭和8(1933)年に下笠用水が引かれた。下笠用水は杭瀬川から水を引くために牧田川
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笠郷は、栗笠・烏江 ・船附の湊は、笠郷地域の文化の繁栄の元となっていた。
昭和10(1935)年前後は、笠郷小学校の2階から牧田川の帆掛船が見えた。梶のぎーぎーという音が学校まで聞こえた。当時は水量が豊富であった。
昭和10年代前半は烏江の鉄橋よりも堤防の
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笠郷地区は昔から全体的に教育レベルが高い。その理由は、庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏が明治以降教育の高レベルを保つ基礎を作ったからである。また、他の村(下笠、大野、船附、栗笠、上之郷)との競争があったということも理由としてあげられる。
下笠には、立身第二小
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昭和20年代、笠郷の学校では一学級に53人いた。
大正時代から昭和20年(1912~1945)頃までは、親に進学したいと頼んでも、同級生の中には家の手伝いがあり、進学させてもらえなかった者もいた。卒業しても5、6年生の国語の本が読めない者もいた。
家の電気
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笠郷小学校は大正8(1919)年に新校舎ができた。それまでは、笠郷には下笠、栗笠、船附、大野と四つの小学校があった。
栗笠の昔の写真が文部科学省にあり、そのコピーが笠郷小学校にあると聞いている。
笠郷小学校は校舎の西に校長先生用の住宅があり、先生の下宿部屋
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