笠郷地区は昔から全体的に教育レベルが高い。その理由は、庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏が明治以降教育の高レベルを保つ基礎を作ったからである。また、他の村(下笠、大野、船附、栗笠、上之郷)との競争があったということも理由としてあげられる。
下笠には、立身第二小学校があった。

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大野村の渋谷代衛は、往時は7つの蔵と38棟の建物を持つ庄屋であった。教育の興隆と養老公園の開発等で私財を使い果たした。表示位置は笠郷小学校を示している。