笠郷は、栗笠・烏江 ・船附の湊は、笠郷地域の文化の繁栄の元となっていた。
昭和10(1935)年前後は、笠郷小学校の2階から牧田川の帆掛船が見えた。梶のぎーぎーという音が学校まで聞こえた。当時は水量が豊富であった。
昭和10年代前半は烏江の鉄橋よりも堤防の方が高かった。また、牧田川の川幅も広く、石を投げても川の中程までしか届かなかった。その下には、渡船場もあった。高淵(たかぶち・現在の大垣市にあった栗笠の隣村)の子は渡し船で笠郷小学校に来ていた。
栗笠に鵜飼船が来ていたと聞いたことがある。また、鵜飼船は大野、小畑にも来ていたそうである。

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高淵は一時期笠郷側の学区に入っていた。表示位置は烏江の鉄橋を示している。