昭和20年代、笠郷の学校では一学級に53人いた。
大正時代から昭和20年(1912~1945)頃までは、親に進学したいと頼んでも、同級生の中には家の手伝いがあり、進学させてもらえなかった者もいた。卒業しても5、6年生の国語の本が読めない者もいた。
家の電気は1つか2つしかなく、時間内しかつかなかった。上之郷に電球の交換所があった。机、勉強部屋があるのは特殊で、みかん箱などを机にして、比較的明るい縁側で勉強をした。
昔の学生は鉛筆を、短くなるまで大切に使っていた。筆箱に2本入っていれば良い方であった。消しゴムは貴重品であった。習字は白い半紙は使えず、新聞紙を使った。

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電球の交換所=昭和初期に電球が出始めた頃は、フィラメントがすぐに焼き切れてしまい、頻繁に交換(有料)する必要があった。表示位置は笠郷小学校を示している。