昭和中ごろの遊山
1950年代、A氏は子どもが小さい頃、象鼻山によく遊びに行った。草だらけの細い道を走って登った。松茸は、A氏が探してもちっとも見つからなかった。皆が採った後だったのか、場所が違っていたのかもしれない。A氏のおばさんや子どもたちは小さいのを採って来た。象鼻山の松 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
その他
1950年代、A氏は子どもが小さい頃、象鼻山によく遊びに行った。草だらけの細い道を走って登った。松茸は、A氏が探してもちっとも見つからなかった。皆が採った後だったのか、場所が違っていたのかもしれない。A氏のおばさんや子どもたちは小さいのを採って来た。象鼻山の松 [...]
昭和24年(1949)に養老へ来た時にびっくりしたのは、トラコーマ(伝染性の結膜炎)患者が非常に多かったことである。名古屋ではトラコーマはなく、大学に一人患者がいると珍しかった。また、養老では斜視、弱視、視力の悪い子が多かった。大学でその話をしたら、驚かれ、論 [...]
昭和24年、名古屋大学の眼科教室の学生であった半田登喜代氏は、4月に長女出産の予定で、大学を休んでいた。1月は、半田氏のご主人が各務原にいたので、そこで毎日靴下のつぎをするなどしていた。2月に配給のお米を取りに行き、1俵弱を担いで帰る時に破水してしまった。どん [...]
A氏は、昭和29年(1954)に「ひらけゆく郷土」という本を作った。社会科の副読本として、各学校へ15冊位ずつ配った。当時まだ養老町の図書館はなかったので町の図書館には置いていない。 その時の写真は、自分で撮影に行き、現像もすべて自分でやった。 原板は残っ [...]