A氏は、昭和29年(1954)に「ひらけゆく郷土」という本を作った。社会科の副読本として、各学校へ15冊位ずつ配った。当時まだ養老町の図書館はなかったので町の図書館には置いていない。
その時の写真は、自分で撮影に行き、現像もすべて自分でやった。
原板は残っているか分からないが、35ミリ、ブローニーで撮り、またスライドにもした。
高田には撮るべきものがあまりなかった。
上石津町(大垣市)には、天喜寺の正式な書院作りの建物、高木家の鎧、薩摩義士の日記などを撮影しに行ったり、「シブナシガヤ」の有る上石津町下山唯願寺(ゆいがんじ)に行った。また、その頃の山々にはまだ炭焼小屋や藁ぶきの家があった。
養老町で覚えているのは、九里半街道が通る金草川の堤防の横や、牧田川金草川が分流するあたりの広幡地区に「九里半街道」と書かれた標柱があったことである。金草川堤防の標柱は石製で、現存するが傾いてしまっている。分流のあたりの方は木製で、現在は既に無くなっている。
町役場の西にある道標は、元々は養老街道の本筋である高田商店街にあったのではないだろうか。前はこの付近に養老初の警察署もあった。
「ひらけゆく郷土」作成時の多くの資料は現在名古屋大学に行っている。

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上石津町下山唯願寺の境内に、伝説と共にシブナシガヤの老樹が残っており、県指定天然記念物である。表示位置は九里半街道の石柱が建っている所を示している。