タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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その他

橋爪のA氏の戦争体験

橋爪のA氏は太平洋戦争を始め、フィリピン、朝鮮、中国南京などの外地にも出征された体験を持つ。 始めは陸軍自動車隊に入ったが、その後航空隊に転科し戦闘機にも乗った。伊勢湾の上空でエンジンが停止し、墜落しそうになったが落ちて行く時の風圧でエンジンが回り始めて助か [...]

小野佐太郎

小野佐太郎氏(文久3(1863)年生まれ、町史に記載あり)は下笠立身小学校の教員で、笠郷村収入役も務めていた。小野佐太郎氏が退職した大正6(1917)年に、村長の谷金吾氏からもらった退職時の感謝状らしき額がある。なお、谷金吾氏は船附村の庄屋であった。下笠には名 [...]

戦中の食糧事情

戦中当時は子どもの弁当の差が歴然としていた。百姓の子は自分の家で作っているもので弁当を作って持ってきていたが、今尾は町なので、弁当を持ってこられなかった。家に帰っても、食べるものが無く、マツバシ(字下笠の地名)でお昼が終わるのを待っている子どももいた。こっそり [...]

戦争と教育(笠郷)

昭和12(1937)年7月7日の日中戦争勃発、翌年の国家総動員法により日本は軍国主義に入った。その洗礼を真っ先に受けたのが教育であった。昭和10年代後半は、中部地方は東部軍管区であった。A氏が中学3年生の時に予科練が出来、全員志願するように言われた。陸士(陸軍 [...]

軍隊生活

A氏は、6か月の少年兵教育の後、豊橋(愛知県)にあった予備士官学校で、見習士官幹部候補生の教育を受けた。この時は、甲種幹部候補生(将校)と乙種幹部候補生(下士官)に分けて教育されていた。生涯で一番勉強した時期である。月の光で法典を読んで、戦闘の仕方が書かれた歩 [...]