小野佐太郎氏(文久3(1863)年生まれ、町史に記載あり)は下笠立身小学校の教員で、笠郷村収入役も務めていた。小野佐太郎氏が退職した大正6(1917)年に、村長の谷金吾氏からもらった退職時の感謝状らしき額がある。なお、谷金吾氏は船附村の庄屋であった。下笠には名士が多かったが、喧嘩にならないように笠郷の村長は他所から選出された。
小野佐太郎氏は数え78歳で亡くなった。
小野佐太郎氏の小さい頃は、小野氏の家の前の堤防を籠が通ったそうである。
下笠には、滋賀県との交流があり、小野家の祖先も滋賀県から来ているとのことであった。当時油商をしており、家宝には油商のしるしばんてんがあるという。
近江から伊勢代参に行く時は、水路はなかったので九里半街道から下笠を抜けて津島街道へ出て、大場の渡しを通って根古地から船で伊勢へ向かったのであろう。
小野佐太郎氏は独学で熱心に勉強しており、晩年も座敷で写経をしていた。

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表示位置は籠が通った堤防を示している。