タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 74
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

養老町全域

石畑の生業

石畑では養蚕が盛んだったが、昭和40年頃にはごく一部の家に限られるようになった。その頃まで養蚕をやっていたA氏は養蚕に使う竹の道具などを石畑川で洗っていた。当時、石畑川は川幅が1mほどあり、毛鉤を使ってハエなどが釣れた。また、山に入り薪を担いで歩いている人を見 [...]

五日市の生業

五日市では土地に高低があり、ねずみなどに畦に穴をあけられると、下に水が落ちてしまって、水田には向かなかった。そのため、明治から昭和30年代にかけて養蚕が盛んだった。 昭和前半には、軍服にするために桑の木の皮を取りにいった。取った皮は加工されていたはずだが、加 [...]

桜井の暮らし

桜井の共同基地の奥に桜井の庄屋の家系、渋谷家代々の墓があり、その墓標の中には「渋谷家元祖の墓」と書かれた寛平元年(889)の年号が入ったものがある。渋谷家の墓のある向かいあたりが火葬場のあった場所で、お墓から山中に向かって段々の桑畑があった。 桜井は上方の一 [...]

高林の御林

高林には幕府の御林(おんはやし)があり、赤松が多く植えられていた。赤松は生命力が強く、枝を切ってもまた生えてくるという特性を持ち、水防に役立っていた。後にその御林は国有地になった。御林の詳細な場所は不明である。

養老地区の西濃用水

西濃用水の水は明徳にも流れているが、明徳は石畑に比べると村の領域が狭く、水の分配量も明徳分が少ないため、明徳の田んぼに水を流してもらう為に石畑に対して肩身の狭い思いをしていた。また、桶で水をくみ上げて水を流していたこともある。 西濃用水は、上方を通り、石畑へ [...]