西濃用水の水は明徳にも流れているが、明徳は石畑に比べると村の領域が狭く、水の分配量も明徳分が少ないため、明徳の田んぼに水を流してもらう為に石畑に対して肩身の狭い思いをしていた。また、桶で水をくみ上げて水を流していたこともある。
西濃用水は、上方を通り、石畑へ水を送っている。
石畑の西濃用水は、上方を通り石畑まで幹線水路で水を送っている。
江戸時代末期(1800年頃)までは牧田川右岸の堤防が低いために度々の出水で決壊し、沢田、桜井、上方から竜泉寺までの村々が水害に悩まされた。反面、干ばつ期には用水の獲得にも苦労したが、西濃用水が完成してからは用水問題は解決された。

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表示位置は西濃用水の分水箇所を示している。