桜井の共同基地の奥に桜井の庄屋の家系、渋谷家代々の墓があり、その墓標の中には「渋谷家元祖の墓」と書かれた寛平元年(889)の年号が入ったものがある。渋谷家の墓のある向かいあたりが火葬場のあった場所で、お墓から山中に向かって段々の桑畑があった。
桜井は上方の一部だったが、桜の香りがするという泉が湧いてから桜井という地名がつけられた。桜井と上方併せて、70軒程の戸数があった。白鳥神社も昔はひとつだったが、今は桜井にも白鳥神社がある。上方の人曰く、上方の白鳥神社が本元で格が上であるらしい。

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表示位置は渋谷家代々の墓を示している。