養老町全域

A氏のご祖父が大垣へ勉強に通っていた明治の半ば頃、大垣へ行くには、金草川を渡るのに作造橋(さくぞうばし)を通って烏江へ行った。烏江駅のそばの渡船場から、牧田川を大垣側へ渡船で渡り、歩いて学校に行った。
A氏が子どもの頃、昭和10年代も、ご祖母の在所である大垣
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広幡地区の、岩道と西岩道は、岩道が本村で、そのあとに西岩道ができた。
岩道の地名の由来は、分からない。

広幡は各地区に昔から大地主がいた。大跡の戸倉氏、口ヶ島の田中氏とその分家、西岩道の西脇氏などである。岩道の久保田家は中間地主であり、流れは田中耕馬氏からきていて、田中家の田んぼを預っていたこともあった。しかし、農地改革によって、大地主は大打撃を受けた。久保田家
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昭和10年代後半に上多度地区横屋のA氏が乳牛を飼っており、乳搾りをしていた。牛舎があり、乳牛5、6頭で、1日30~40本程作っていたのではないだろうかと思う。牧場はなく、放牧は堤防の原っぱへ行ったのではないだろうか。
A氏は広幡の辺りまで、自転車で牛乳を売り
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大野は養蚕を行っていたが、和田では行われていなかった。大野は、牧田川の河川敷で桑を作っていた。
和田の辺りでも、桑畑はたくさんあり、桑畑で現金収入を得る人が多かった。竹籠に桑の葉を摘んだ。
昭和10年代は、桑畑に入って桑の実を摘んで遊んでいた。食べると口の
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