大野は養蚕を行っていたが、和田では行われていなかった。大野は、牧田川の河川敷で桑を作っていた。
和田の辺りでも、桑畑はたくさんあり、桑畑で現金収入を得る人が多かった。竹籠に桑の葉を摘んだ。
昭和10年代は、桑畑に入って桑の実を摘んで遊んでいた。食べると口の中が紫色になった。足で踏むと桑の木が傷むので、怒られたことがある。
和田での桑畑以外の現金収入としては、百姓の子どもたちが、川で魚を取って、三ツ屋の山種(やまたね)に売りに行くというものがあった。ドッペを川に入れて、魚を獲った。取った魚は、家でも食べた。ウエ(竹の真ん中に紐をつけて沈めておく漁獲具)、ドッペ(竹のかごを伏せて沈めておく漁獲具)で魚を捕った。ウナギやナマズが入っていた。小学校の頃に、ドッペを開けて、中の魚を逃がしていたら、職員室に呼び出されて、生活がかかっている人がいると怒られた。

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表示位置は和田の桑畑があった所を示している。