A氏のご祖父が大垣へ勉強に通っていた明治の半ば頃、大垣へ行くには、金草川を渡るのに作造橋(さくぞうばし)を通って烏江へ行った。烏江駅のそばの渡船場から、牧田川を大垣側へ渡船で渡り、歩いて学校に行った。
A氏が子どもの頃、昭和10年代も、ご祖母の在所である大垣市浅西へ行く時は、烏江の渡船場から船で渡った。川の真ん中に鉄線が引いてあり、それを船に乗って引っ張って往来した。渡し賃は1円ほどだったのではないかと思う。
その頃は牧田川の分流前であった。牧田川が合流する所の下流から乗った。その頃は、自動車も通らず、少し自転車が通る程度で、趣があった。自転車も船に乗せて大垣へ渡った。

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表示位置は烏江の渡船場を示している。