押越の子どもの遊び
A氏が子供の頃の昭和20年代から30年代は、竹細工の竹トンボも、竹を火で炙って自分で作った。小さい子は、一本足の竹トンボを作った。一本足の竹トンボは、足と羽根がくっついているもので、足がついたまま飛ばした。上級生になると羽と足を分けて作って、羽だけ飛ばした。他 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老町全域
A氏が子供の頃の昭和20年代から30年代は、竹細工の竹トンボも、竹を火で炙って自分で作った。小さい子は、一本足の竹トンボを作った。一本足の竹トンボは、足と羽根がくっついているもので、足がついたまま飛ばした。上級生になると羽と足を分けて作って、羽だけ飛ばした。他 [...]
高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。 よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の [...]
昔は、何かといえば芸者を呼んだ。青年団や消防団などで酒を飲む時はもちろん、法事の時でも芸者を呼んだことがある。 高田に住んでいたA氏(2012年現在77歳)のお父様は、青年団とは関係なく、毎晩高田地区字北浦の置屋へ遊びに行っていた。芸者買いをするお金はなかっ [...]
昭和20年代、学校の成績は、優、良上(りょうじょう)、良、良下(りょうげ)、可、不可の6段階評価であった。不可は落第であった。 小学校の時の科目は、算数、国語、図画工作、体育、歴史があった。今のように教育熱心ではないが、良い点数を取ると親から褒められて、嬉し [...]