下笠の輪中堤防
下笠の輪中堤防は昭和27年(1952)頃の土地改良の時に周辺の池を埋め立てる土を取るために取り壊された。堤防は非常に堅く、そうとう突き固められていた。埋め立ての土が足りた時点で堤防の取り壊しが終わったため、三ツ屋から大場の八幡神社までの範囲が取り払われた。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老町全域
下笠の輪中堤防は昭和27年(1952)頃の土地改良の時に周辺の池を埋め立てる土を取るために取り壊された。堤防は非常に堅く、そうとう突き固められていた。埋め立ての土が足りた時点で堤防の取り壊しが終わったため、三ツ屋から大場の八幡神社までの範囲が取り払われた。
平松不殺(ひらまつふさつ)氏は岐阜県羽島市の竹鼻出身である。政治家の秘書をされていた武藤三次氏の家に養子に入った。 下池付近では米が思うように作れず稗を食べて生活していた。平松不殺氏は下池を全て購入し、干拓に成功した。 農地解放が行われるという情報は平松氏 [...]
昭和34年(1959)の集中豪雨の時には養老町三ツ屋では2階まで水がついた家もある。下屋敷に住んでいたA氏の家は少し高くなっていたので、水がついたのは1階の天上すれすれまでである。その後の伊勢湾台風の時の推移は集中豪雨に比べると30cmくらい低かった。 八幡 [...]
養老町下笠の三ツ屋は街道沿いにある。京都の東本願寺の一如上人が名古屋別院を建てられるために名古屋に向かわれた際、三ツ屋を通りかかる頃に御病気にかかられたため村で介抱申し上げた。その時お世話をしたのが浄誓寺(下笠763)の門徒19戸の村人である。後に浄誓寺を通じ [...]
明治20年(1887)の濃尾大震災で三ツ屋の辺りの家はほとんど全滅した。唯一、1軒だけ倒れなかったといわれていたのがミツクニ(漢字不明)さんである。建て替えで家を壊すとき、この家は濃尾震災でも倒れずに残ったという話を聞いた。何故この辺りでその1軒だけが倒れなか [...]