昭和34年(1959)の集中豪雨の時には養老町三ツ屋では2階まで水がついた家もある。下屋敷に住んでいたA氏の家は少し高くなっていたので、水がついたのは1階の天上すれすれまでである。その後の伊勢湾台風の時の推移は集中豪雨に比べると30cmくらい低かった。
八幡神社(三ツ屋)の鳥居を撮ったものが三ツ屋の床屋に残っていて、写真から水の高さが分かる。本殿は下笠輪中の堤防から降ろした後で写真にも写っている。本殿は鳥居の半分くらいの高さまで浸かってしまった。
三ツ屋では(下笠2277)の辺りが一番低い。南に行くほど低くなっており、横屋辺りはかなり低いのではないだろうか。
集中豪雨の時に大半の人は山の上の上多度小学校に避難した。あっという間に水が来たので遅れた人は田村の裏の津島街道を逃げた。江の橋あたりから堤防が切れたと聞いて20分くらいだった。輪中の中に水が入ってしまったので地面の比較的高い方までも水がいった。小坪(こつぼ)より三ツ屋の方が先に水が来た。
8月にいつも値段が高くなるからと、それまで取っておいた米ががんがん(缶)に30俵くらい残っていたが浸水して米が水を含み、膨張したためにがんがんが破裂して家の中が米だらけになった。
A氏のお兄様は医者をされていたが、集中豪雨の後で養老町から来た人は診察をしなくても皆疲弊して体が弱っていて顔つきも違っているのですぐにわかると言っていた。
表示位置は江の橋の、堤防が切れたあたりを示している。