平松不殺(ひらまつふさつ)氏は岐阜県羽島市の竹鼻出身である。政治家の秘書をされていた武藤三次氏の家に養子に入った。
下池付近では米が思うように作れず稗を食べて生活していた。平松不殺氏は下池を全て購入し、干拓に成功した。
農地解放が行われるという情報は平松氏にも入っていたと思うが解放前に下池を開拓して農地にしていたので土地は解放の対象となり、全部解放した。
昭和24年(1949)の地図を見ると堤防があり、開拓というよりは下池の周囲を堤防で仕切っただけではないかと思う。堤防で囲って水をかき出したのであろう。堤防は2世代かけて築かれた。
下池の開拓をしていた時に竜巻がおきて舟が空を飛んだことがあったと聞いた。
粗大ごみ処理場付近の下地干拓の碑に干拓事業開始年月が書かれており、昭和9年か10年に事業が完了した。
表示位置は下池干拓の碑を示している。