養老町全域

栗笠湊から九里半街道の碑のある場所までの街道の道筋ははっきりとしない。
九里半街道は農協のあたりから金草川の北側、下の堤防あたりではないかと考えている。そのあたりの道であれば高田の町に入るにも地の利がある。
口ヶ島字寺田地内の屋敷に道標がある。
九里半街
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近鉄養老線は養老山麓側を通すというものと、海津市平田町の今尾を通すという2つの案があった。最終的に養老山麓側に近鉄養老線が開通したのは、佐竹直太郎氏の影響力ではないだろうかと思う。近鉄養老線開通に伴う烏江駅設置には牧田川改修工事も大きく絡んでいる。
近鉄養老
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牧田川では川に大網を張り魚を取る地獄網漁や、夜にガス灯の明かりに魚を集めて取る火振り漁などが行われ、名古屋のほうからハエや鯉釣りに来る人もいた。
昭和10~20年頃、長良川の鵜飼船が7~8隻、烏江東側の牧田川で冬期間の鵜の訓練をしており、烏江渡しのあたりで停
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烏江地内、金草川の作造橋(さくぞうばし)の北には大正末期から縄打屋が3軒ほどあったが、現在は1軒だけが縄屋を続けている。縄は舟を繋ぐ、荷を縛るなど舟関連の仕事に必要だった。
縄屋のうち1軒は、昭和には綿ロープやタオル屋に商売変えした。
かつて烏江湊のおかげ
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烏江という地名は、渡来した中国人が中国の「烏江(うこう)」という土地と風景が似ているためつけられたと伝えられている。
近鉄の線路を境に、線路の北側を北屋敷、南から排水機辺りまでを中屋敷、そこから南を下河原といった。