タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 55
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経済

蛇持村の庄屋

蛇持村庄屋の佐竹光次郎氏は、3代か4代は続いた。佐竹光次郎氏は米が取れないときに関ヶ原から米を調達したこともある。現在は庄屋の家系とは無関係の佐竹氏が、跡地に住んでいる。庄屋の佐竹家は子供がいなかったため、断絶した。了覚寺住職によると昭和初期頃に庄屋の家が競り [...]

大坪の生業

ヒビ(株)工場(直江613-1)の脇を流れる立出(たてだし)川は湧水が流れる川なので、水質がとてもきれいである。 大坪は基本的に兼業農家で、舟運など水辺に関する仕事や、養蚕業を行っている人がいた。造り酒屋もあった。自作農と小作農は半々だった。米が不作の年には [...]

小畑の戦中戦後の様子

昭和20年頃、米軍の飛行機から錫の紙吹雪のようなものが撒かれ、ラジオの電波を妨害した上で照明弾を落として焼夷弾を落としていた。 飯田の八幡神社に爆弾が落ちたことがある。 大垣にでるのが便利になり、持家が増えた昭和30年から40年代にかけて、田んぼを売って家 [...]

江月の生業

2010年現在江月で耕作している土地は約50町歩である。 上江月は漁師か船頭をやっていた人が多く、上江月だけで漁師は5、6軒あった。明治中期頃には宿泊施設として船宿があった。川の真ん中に網棚と呼ばれる櫓(やぐら)を作って魚取りをしていた。昭和20年代には鰻の [...]

小畑の教育

戦後、飯田から通う主な高校には希望する進路により、進学校の大垣北高等学校、実業校では大垣農業高等学校(現、大垣養老高等学校)、大垣工業高校、大垣商業高校があった。 学校の先生の給与は村の財政によって異なっており、飯田が一番安かったといわれている。 相順寺( [...]