昭和20年頃、米軍の飛行機から錫の紙吹雪のようなものが撒かれ、ラジオの電波を妨害した上で照明弾を落として焼夷弾を落としていた。
飯田の八幡神社に爆弾が落ちたことがある。
大垣にでるのが便利になり、持家が増えた昭和30年から40年代にかけて、田んぼを売って家を建て替える人も多かった。
昭和22・3年頃ヤミ米を1俵6000円、一升150円で売っていた。一日働いて100円もらえる時代だった。

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表示位置は飯田の八幡神社を示している。