2010年現在江月で耕作している土地は約50町歩である。
上江月は漁師か船頭をやっていた人が多く、上江月だけで漁師は5、6軒あった。明治中期頃には宿泊施設として船宿があった。川の真ん中に網棚と呼ばれる櫓(やぐら)を作って魚取りをしていた。昭和20年代には鰻の漁獲量が一晩一網で、7~8万円になったこともあると聞いたことがある。

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網棚漁法=江月の杭瀬川で行われていた漁法である。 表示位置は船宿を示している。