戦後、飯田から通う主な高校には希望する進路により、進学校の大垣北高等学校、実業校では大垣農業高等学校(現、大垣養老高等学校)、大垣工業高校、大垣商業高校があった。
学校の先生の給与は村の財政によって異なっており、飯田が一番安かったといわれている。
相順寺(そうじゅんじ)が寺小屋であったかははっきりとしないが、戦後(昭和30年代)にラジオ体操が終わった後に、本堂でお経とともに勉強を教えてもらうことがあった。
大橋治太郎(じたろう)氏が薬師院で寺小屋をしていた。江戸末期のことである。

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1868年、飯田に小畑小学校が開校される前の話である。 表示位置は大坪の薬師院を示している。