上方の白鳥神社の境内には大きな欅があったが、枯れ始めたので倒して売ったところ300万円程で売れた。昭和に入ってからの話ではあるが、正確にはいつ頃のことなのかはっきりとしない。
上方の白鳥神社にも古墳があったと聞いている。
上方の白鳥神社には戦勝祈願に訪れる人が多かった。
日本武尊が伊吹山で賊を退治した際に怪我を負い、上方を通って大和に戻る途中で亡くなった後、日本武尊の霊が白鳥になり上方に舞い降りたというのが白鳥神社のいわれである。
弁天・御鍬・秋葉・神明と4つの脇社があり、御鍬と神明は田の中に脇社があったが白鳥神社に合祀された。
上方は神社のしきたりを厳しく守ってきている。
桜井の白鳥神社の由緒や上方の白鳥神社との関係は不明である。奥の御社(みやしろ)のところに狛犬があったが、盗難にあってしまい今はない。また賽銭泥棒にもよく遭った。ただ、賽銭泥棒については賽銭箱の鍵の仕組みを開き難いものにしてからは被害に遭っていない。白鳥神社のお祭りは10月2日に行っている。日付については土曜・日曜に変えてほしいという声もあるが、曜日に関係なく2日に固定している。燈籠に明かりを灯し、境内で神事を行うが、特別な儀式はない。提灯は献灯ということで各戸からそれぞれ1個、計45個出しているほか参道にも灯す。昔は7つの燈籠をつけた枠を3箇所に灯した。白鳥神社の社殿の脇には御鍬神社があり、境内の脇を上がったところに秋葉神社がある。
白鳥神社(桜井)には明治期の手筒花火を描いた額と、明治期に境内の池に落ちた女性が水を一滴も飲まずに助かったという伝承を記した額が白鳥神社の社殿の中に掛かっている。
御鍬神社(白石)は京ヶ脇と白石が共同で祀っていたが、いつからか別々に祀るようになった。昭和40年代頃はまだ京ヶ脇の青年団が白石の御鍬神社と関わっていた。社が山の上の方にあった為、祭では白石と京ヶ脇合同で豆馬亭(養老公園1282)のあたりから登って行った。
御鍬神社の祭りは、昔は10月25日に行った。平成16年頃までは薬師祭り、大神宮の祭り、御鍬神社の小祭りを全て合わせて10月14日に行った。最近では薬師祭りを10月第3週の日曜日、御鍬神社と大神宮の祭りをその翌週に行っている。祭りは総代主体で行われるので、総代が変わると祭りの日付が変更されることもある。神官は呼ばない。
昭和10年代には、白石でお祭りが終わった夜、京ヶ脇のお祭りのために住民が提灯を灯して迎えに来た。京ヶ脇のお祭りが終わると白石に戻された、いわば申し送りの神様である。
御鍬神社の御神体は鍬と鎌であるが、祭りの時には仮の御神体をお札に書いて送り迎えをした。
平成16年頃までは山の神の祭りも、旧暦11月7日に行っていた。2010年現在は養老神社に合祀されており、山の神としての祭りも行っていない。山の神の祠は養老神社拝殿の向かって左側にある。
白石の稲荷神社は京ヶ脇に移り、また白石に戻され、その後養老神社に合祀したが現在は廃社となってしまった。