養老町多芸東部の直江には馬頭観音がある。未調査のため、詳細は不明である。

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飯積の八幡神社で山車の幕や人形浄瑠璃に使われた人形の頭や衣装、花火の調剤道具がみつかった。2010年現在は、多芸公民館にて保管されている。

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金屋は50年前まで三昧(さんまい)で胴藁(どうわら)で火葬にしていた。金屋126の西側が三昧道(さんまいみち)と呼ばれており、そこを通って遺体を主に玉泉院に運んだ。
金屋の三昧は、元は安久の庄屋大矢家の土地であったが、次に庄屋今津家の手に渡り、やがて金屋の村の所有となった。しかし現在は金屋の三昧は存在しない。

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第二次世界大戦の終戦から2年間、三神町で作ったスポンジの毬をリュックサックいっぱいに詰め込んで、汽車に乗り京都や大阪に売りに行った。京都駅には取り締まりの警官がいたため、山科付近で窓から投げ捨てた。当時の鉄道の状況は、大垣に戻ってくる切符は一週間に一度しか売られないため、それまでリュックサックを枕にして駅で寝て待った。商品を売りつくして手ぶらで戻ってきた。ヤミ米は養老の場合1俵8円から10円で売られており、30円あれば家が一軒建った時代であった。ヤミ米を運ぶには座席の下の隙間に入れて隠して運んだ。警官の立ち入り検査で捕まるわけにはいかないため、自分のものではないふりをした。

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多芸小学校は、昭和22年(1947年) 、多芸尋常小学校から養老郡多芸村立多芸小学校と改称され、校舎が増築された。直江、飯積、金屋の地域の人々が共同で小谷山の木を切り出して校舎を建てた。現在は敷地の半分は住宅地になっている。
多芸高等尋常小学校の校章には鏡、玉、剣の三種の神器のデザインが使われている。また、校舎に使われていた鬼瓦が保管されている。

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