五日市には長池の東側に更に池があり、そこから牧田川よりに元屋敷と呼ばれた土地があった。元はその辺りに10戸数ほど住んでいたが、やがて現在の場所に移動してきた。現在の町立食肉事業センターから養老ファームの端、東洋アドバンスの辺りまでは堤防が無く、牧田川が氾濫すると、水がつきやすかったためである。
五日市の八幡神社が元は村の一番上にあったが、人が移り住むに従い、今では一番下になってしまった。
五日市は山も無く、農地も少ない部落だった。
川が氾濫して土砂が流れてくると、土石を集めて、「ボタ」と呼んでいた周囲70~80mの丘が2~3つ作られていた。ボタを作った場所の提供者は不明である。上流の方のみで作っていた。
五日市川の水利権をめぐって争ったことはない。五日市川は牧田川からの水よりも湧き水の方が多い。特に6月頃には水がたくさん湧いていた。ふれあい公園のそばに長池とよぶ池がある。
五日市の水田には牧田川と西濃用水を使っていたが、今は水田の作り手がいない。田や山からの収穫が見込めないため、比較的早い時期から会社勤めをする人が多かった。
五日市では、小学1年くらいから子供は農業に総動員された。7~8cmほどに苗が育った頃、害虫が産み付ける卵を手で取り除いた。約3日間の農繁期休暇があった。
五日市は2010年現在では47戸程ある。昭和30年代には21戸だった。3分の2は他所の土地から転居してきた。今では昔からの人は17,8戸になった。神社関連等は規約を作ってあり、五日市に来たら八幡神社の氏子になるようお願いしている。お寺に関しては自由にしてもらっているが、葬式はやはり近くが良いということで、やがては林覚寺門徒になる人が多い。
林覚寺の南辺りに、旧牧田川の堤防である茶園原堤防があった。

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「ボタ」はボタ餅に似ていることから名付けられた。田に不要な土石を集めたものである。 表示位置は五日市青少年育成センターを示している。