昭和30年代から昭和40年代(1955~1974)は養老町の花柳界が大変賑わっていた。
昭和42、3年(1967、68)頃に養老町の花柳界に入られたA氏によると、養老にはお客様をご案内できる所が少ないなりに花見の季節には桜を見に行ったり、秋には紅葉狩りに行った。紅葉の季節は滝谷沿いの道が真っ赤になってとてもきれいだった。
花見の時期はみんな河原でゴザを借りて宴会をしたが、着物が汚れるし、花見の客は割と横着ではめをはずすから、あまりお花見の席には行かないようにしていた。一般の人はゴザをひいて賑やかにしていたが、着物ではゴザには座れないので、芸妓さんたちはお座敷から眺めることが多かった。
雪が降った時は面白かった。タクシーは夜の9時迄に喫茶店木の間(このま、白石)までしか来てくれなかったので、どうしても9時には木の間まで降りて行く必要があった。芸妓さん達は皆慣れているから着物をまくってさっさと降りて行ったが、都会の人は普通の革靴の上にコートのポケットに手を突っ込んで歩きなれない雪道を歩いていた。その内に転ぶぞと思って見ていると、案の定滑って転ぶのがとても楽しかった。
養老公園にはゴルフの遠征の宿泊客が多くいらした。養老公園に泊まった次の日に、近辺のゴルフ場に行かれた。養老公園で遊ぶことが目的の宿泊ではなかったが、養老の芸妓さん達を目当てに毎年何か月かに一回は通ってくれていた。夜は温泉地でやっているような野球拳をして遊んだ。桑名にもたくさんゴルフ場があるが、桑名には芸妓さんもいたのでそちらに行かれるお客様は養老にはみえなかった。
ゴルフの帰りに養老公園で会食して帰られるお医者さんのお客様も多かった。昔はゴルフと言えば富裕層しかやらなかったと思う。
象鼻山の山頂付近に芸妓さんを呼んで松茸で飲み食いしている古写真を見たことがある。昭和40年代(1965~1974)には松茸は少なくなり貴重品になっていたので、それ以前のことであろう。A氏は象鼻山へ松茸狩りに行ったことはないが、松茸狩りに行ってきたというお客様が松茸をさげてお座敷におみえになったことはある。お客様が酔っ払ってくると、「松茸をやる」と言われて松茸をいただけるのは楽しみだった。
昔は養老公園のあたりには赤松の松林が多くて、松茸がよく取れたという話を聞いたことがある。
6月頃になると養老公園で蛍狩りをして楽しんだ。夜、宴会が終わる頃にお客様に提灯を持ってもらい下駄を履いて蛍狩りに出掛けた。燧谷橋(ずいたにばし)の側の白石井水にたくさんの蛍がいた。
滝の側にある滝元館のお客様には、昼間の少し明るい内に滝まで歩いて案内することもあった。滝元館よりも下の方の旅館から滝まで歩くのは、酔っ払っているお客様にはしんどいので無理だった。
蛍は千歳楼(せんざいろう、養老町養老1079)さんの辺りから掬水(きくすい、養老公園1286-1)さんの下の方までずっと木にいっぱい止まっていて、ものすごく綺麗だったが、残念なことに白石の下の方で水を使うために消毒したので蛍が死んでしまった。
お客様に同行してお祭を見に行くこともあった。養老の辺りでは桑名の石取祭によく同行した。人の出がとても多く、打ち鳴らす太鼓や鉦の音で耳がおかしくなるくらい賑やかで、帰ってくるのはいつも明け方だった。
養老町のお客様ではなく、桑名の方のお客様に呼ばれてお祭に同行したこともある。その際には声をかけていただいた養老の料理屋さんからの出張扱いとなり、その料理屋さんから花けんをきってもらわないといけなかった。
イベントの時に南濃町役場や上石津町役場に連れられて町長さんにご挨拶したこともある。
「花けんをきる」とは、お座敷で使う線香の代わりである。芸妓さんと外出する時に凡その時間で課金された。表示位置は白石井水の、蛍がいた辺りを示している。