天保年間(1830~1844)に滝谷が崩壊した為、谷の水源が汚濁して苦労した。
この滝谷の土砂崩れでは、喫茶店ジン(現在は閉店している。養老公園1274、養老亭の辺り)の近くが崩壊した。2010年現在も土砂止めが残っている。また、その辺りに梁川星巌の碑が埋もれたままになっているといわれている。
滝谷と菊水泉を一括にした、幅1間(約1,8m)、深さ3尺(約91cm)の水路を、滝谷から北へ550間(約1km)引いたため、高林から北へ集落が大きくなっていった。
昭和12、13(1937、1938)年の豪雨の時に滝谷が上流の方で決壊した。
鷲巣(わしのす)の字絵図を見ると元河原という字があるが、滝谷が決壊した位置と一致するかどうかは、分からない。元河原からずっと東へ下がって飯ノ木の津屋川へ滝谷が落ちている源氏橋のあたりで、飯ノ木と鷲巣で滝谷の落ち口をどちらへ持って行くかでいざこざがあった。鷲巣は北へ向けたかったが、結局鷲巣が負けたため滝谷の落ち口は南を向いているのではないだろうかと思う。
星巌の石碑の下にあった滝川惟一(たきがわゆういち)の石碑は、崖崩れの度に何度も谷に落ちた為、滝谷の右岸、万代橋ともみじ橋の間の現在の場所に移動させたといわれている。

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表示位置は滝谷を示している。