養老町の橋爪は昔から水に苦労していた。また、日吉地区の下流の地域は、特に排水に苦労していた。
象鼻山の南側の麓に、絶対に枯れない小さな泉があった。A氏が子どもの頃の昭和初期に旱魃がくると親に頼まれてやかんを持って水を汲みに行った。
川の水は上流でチフスや赤痢が流行ると、下流の人間にも感染してしまう。橋爪では昭和6、7年(1931、1932)頃、4つの組(橋中、橋西、橋東、橋北)がそれぞれの組内に堀抜井戸を掘ってそれを上水としていた。
現在は使用していないが、念長寺の南に絶対に汚してはいけないと言われていた泉があって、泉の淵から腹ばいになって水を飲んだことがある。
古文書の中に「段木所(だんぎしょ)切れ」という地名がある。段木所は、水路のことであろう。水路は5本か6本あった。その中の宇田水路は今の養老サービスエリアの真ん中を流れて、東へ流れていたという記録がある。
牧田川から取水していた圦(ゆり)と呼ばれる水路の一種は、一番上流は山田圦であった。圦は全部で6本あった。一番下流にある圦を宇田圦といい、牧田川の突堤の4番堤の少し上流から取水している。
三ツ圦(みつゆり)という地名は、牧田川に沿っていたかどうか定かではない。
表示位置は段木所(だんぎしょ)切れのあたりを示している。